魂は受け継がれたのか?〜仮面ライダーTHE FIRST〜
<みんな「仮面ライダー」なんだけど・・・>
<「大衆芸能」という名作>
<THE FIRSTはどうだった?>

<みんな「仮面ライダー」なんだけど・・・>
「初代ライダー」が帰ってくる!!僕にとっては、」「Cutie Honey」「機動戦士Zガンダム」が映画化されるのに次いでの大事件であった。「初代ライダーをそのまま映画化して欲しいっ!」リメイクものが流行り始めていた頃、僕は友人にそう言い出した。「平成仮面ライダー」というのは、見方を変えれば良い作品である。ただ僕の場合は、「仮面ライダークウガ」の第1回を観て、ビデオ撮影によるクリアだが厚みのない映像への違和感と、「伝説は振り返るもの」「頂上疾走、俺が超えてやる」と歴代ライダーへのリスペクトがない主題歌の歌詞に激怒してしまい、それ以降は観るのをやめてしまったのだった。それからも「ガシャラー系」の人達との交流で「平成ライダー」は話題となり、気には掛けていたのだが、「仮面ライダー龍騎」に至っては「こんなの仮面ライダーじゃないっ!」とまで言ってしまった。後半のエピソードを観る様になってから、いきなり意見がコロリと変わるのだが(笑)
「昭和仮面ライダー」の中でも、僕の一番狭いカテゴリーでは「仮面ライダーX」までが「仮面ライダー」となっている。後は「仮面ライダーBlack」。「ライダーマン」「仮面ライダーX」は、「亜流だけど仮面ライダーの仲間」という認識が子供心にも持てた。しかし「仮面ライダーアマゾン」は、もう僕の目には「仮面ライダー」に見えなくなっていた。「正義の味方が、相手に噛み付いたり、引っ掻いたりしてはいけない」と思ったのだ。「平成ライダー」を観てしまえば、今は「昭和ライダー」はもう全て「仮面ライダー」であるが(笑)。「平成ライダー」は確かに面白いのだが、「仮面ライダーではない」という違和感が、僕にはストレスになっていたことも事実である。それゆえに、「仮面ライダーSPIRTS」の出現によって他の「昭和ライダー」にも愛着が湧き、全て受け入れることが出来る様になったのだった。
<「大衆芸能」という名作>
「仮面ライダー」と並んで挙げられるといえば、「ウルトラマン」である。一般的には、円谷プロの特撮技術、SF考証やストーリー、メッセージ性など、「ウルトラ系」が支持され、「仮面ライダー」は格下扱いを受ける場合が多い。どちらも好きではあるのだが、グッズとかの愛着を考えると、僕の場合は「ライダー」である。神仏に等しい「ウルトラマン」の力を借りて「怪獣」「宇宙人」と戦うより、「改造人間」とはいえ、己の身一つで「悪の組織」と戦うという方が、格好良く見えたのだ。初期の「仮面ライダー」は、基本的に「大衆芸能」的な作品であったと思う。元々は東映の「チャンバラ」時代劇のスタッフが製作を始めたものであり、ライダーの戦闘員とのアクションも、その系譜を受け継いでいると言える。妖怪変化の様なおどろおどろしさ、悪人をバッタバッタと倒す痛快さ。後に「変身のポーズ」になる「ライダーアクション」の構え(決め)、怪人との一対一の睨み合い、それらの中に時代劇の源流が見て取れるのである。主役の剣士の強さ格好良さを魅せるのが、アクションの目的であり、「仮面ライダー」でも、「ライダー強い!格好いい!」を魅せるのが目的なのである。
「大衆技能」という言い方をすると、メッセージ性のある「ウルトラ系」とかより格下に見られがちだが、そうではないだろう。観客が求めているものをキッチリ魅せる。満足して帰ってもらう。これが興行の基本であり、またTV娯楽番組でも同じはずである。昔「見ごろ!食べごろ!笑いごろ!」というバラエティ番組があった。伊藤四郎、小松雅夫やキャンディーズ等がレギュラーで、毎週毎週同じパターンのコントを延々とやっていたのだ。演じている方にしてはもう何百回も飽きるほどやっている事でも、視聴者が求めていればキッチリやる。吉本新喜劇もそうである。ジャパニメーションでいくと、「タイムボカンシリーズ」等がそれに当たるだろうか。
今で言うと「スーパーロボット大戦」の登場によって、分類されるようになった「リアルロボット系」の代表格が「機動戦士ガンダム」で、「スーパーロボット系」が「マジンガーZ」。ストーリーや設定のリアルさなどで「ガンダム」より「マジンガーZ」は格下の様な評価をユーザーから受けるのだとか。しかし「マジンガーZ」が世に出なければ、「ガンダム」は存在しなかったのだ。個人的には、「ガオガイガー」とかの描写を観ても、当時の「マジンガーZ」ロボットとしての重厚さには勝っていない気がする。鋼の体、強いパンチ、強力な光線。ゴチャゴチャと大掛かりな飾りや演出がなくても、「マジンガーZ」は「強いロボット」の理想像を描き切っていた。故に他の作品は、「別の表現方法」を模索しなければならなくなったのではないだろうか。
メッセージを込めた作品やテーマを描いたものも大事ではあるが、大衆を楽しませるというのも大事なことであり、より難度の高いこととも言えるのである。基本的に放映される作品というものは、視聴者を楽しませるものでなければならないはずである。どちらが格下格上ではなく、「どちらも必要」であると思う。
<THE FIRSTはどうだった?>
さて約37年ぶりにリメイクされ、映画として復活した「仮面ライダーTHE FIRST」はどうだったろうか。まずデザインなどの基本設定において、「改造人間が仮面を被る」という解釈で初代の頃の革ジャンテイストならライダースーツ、戦闘員や怪人達を再現してくれたのは素晴らしいアイデアだった。サイクロン号も実用性のあるデザインになり、スタイリッシュになった。ワイヤーワークを駆使したアクションは、ライダーの改造人間としての身体機能を旨く表現していた。ショッカー側のドラマも良かった。「赤い糸でつながる」も、個人的には微笑ましく観た。映像のクオリティーにおいては、歴代ライダーシリーズの中でも屈指の高さで、是非DVDは購入したいと思っている。
一番不満だったのが、「仮面ライダー」に「恋愛もの」をからめてしまったことだ。アベックが観るものにしないとヒットしないとか、「スパイダーマン」などの影響もあるのだろうが、あれはやめてほしかった。特に本郷と一文字が一人の女の子をめぐって対立するなど、最低である!
「女のために死ねるか?!」
なんて「愛と誠」の岩清水みたいなこと(笑)言わせて。「そんなチッポケなものの為に戦わないでくれ!」と心の中で叫んでいた。世界征服を狙う悪の組織と戦うのに、色恋沙汰はご法度である。恋人が巻き込まれて殺されても仕方がない。ここは初代本郷の様に身を引くのが妥当である。だがしかし!「仮面ライダー」はヒーローなのだから、「恋人も世界も救ってしまう」男であっても良いではないか!!ヒーローが戦うことに「恋人を守るため」などと、身近な理由がないと戦えないのだろうか?初代本郷の様に、「人類の為の科学を、悪の手に使われてはならない」という、大学の研究生らしい動機で戦ってはいけないのだろうか?ショッカーの科学技術を知り、危機感を持って立ち向かう事が正義に成らないのだろうか?!「リアリティを感じない」という意見もあるだろうが、個人的には今はそういう行いをするヒーローを見せるべきではないかと思うのである。それとも製作者達自体が、それらに共鳴出来ない程「正義感」がなくなってしまっているのだろうか。ヒーローのベーシックである「本郷武」は、そういう人であって欲しかった。「一文字隼人」も、女がらみでなくても本郷の実直さに「馬鹿だなお前は」と言いながら手助けしてしまう男で良かったのではないだろうか。
後「平成ライダー」でも気になっているのだが、全体的に「暗いイメージ」になってしまっている事である。暗くても別にかまわないのだが、最後はスッキリさせて観客を送り出すことをして欲しいのだ。「THE FIRST」のラストでも、夜の砂浜を歩くのではなく、昼間に本郷とあすかが乗るバイクの周りを、一文字がふざけながら周りながら走り過ぎるとか、明るいラストシーンにするだけでずいぶん印象が変わるのではないだろうか。「仮面ライダー」はアベックのものではない。「男の子」のものだ。映画になろうと、それは変わらない。ロードショーの劇場には、子供連れの親子、50代位のおじさんの集団が来ていた。特におじさん達は、昔な近しい「仮面ライダー」を観にきたはずである。彼らもおそらく、僕と同じ気持ちで劇場を後にしたのではないだろうか。
オープニングでサイクロン号の爆音と共に「レッツゴーライダーキック!」のイントロが流れた時、僕は涙が出てしまった。どれ程「仮面ライダー」の復活を待ち望んでいたか、僕自身もその反応に驚いてしまった程だった。でも感激したのは、そこまでだった。「これが本物だ!」というキャッチフレーズに、僕は「本物だった」とは言えない気持ちであった。

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<THE FIRSTはどうだった?>

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