『劇場版も〜っと!おじゃ魔女どれみ

カエル石のひみつ』

《テンコ盛りという言葉は、僕的にはダサ目であまり使いたくない言葉なのですが》

前回の劇場版『おじゃ魔女どれみ#』よりも、良い作品だった。

やや速すぎるテンポでお話しを進めて行く所に、

25分間で劇場版作品を作らなければならないスタッフ側の苦労が見える。

しかし出来る限りありったけの能力を駆使して作り込まれた力作。

OPの入り方、「ハイ!ハイ!ハイ!ハイ!ハイ!ハイ!ハイ!ハイ!」のシーンも気に入っていて、劇場のシートで小さく拳を合わせてあげていた(笑)。

CGというと、どうもロボットとのメカニックなどの描写に使われる印象があるが、

ここでは森の木々達の動きやその中でのダイミックな画面展開に使われていた。

山奥のコケの生えた大木や川の流れ、古い家屋やその伝統的な道具など、

その良さを表現しようとかなり力の入った作画がされていた。

おばあちゃんの水ようかんはとってもおいしそうだし、透きうるしも綺麗に見えた。

スタッフの取材の成果ではないかと思われる。

お話しは「カエル石の秘密」を中心に、善十郎とマユリの悲しい物語、あいちゃんとおじいさんの辛い思い出、どれみパパとおじいさんの対立が少々と、

別エピーソードにしてもいい程の物がそれぞれ少しずつ絡み合って構成されていた。

《ここは個人的な思い出なので、飛ばしていただいても結構です》

僕のおじいちゃんの記憶は、父方のおじいちゃんである。

住まいが近場なので、盆も正月も良く家族で帰っていた。

マイペースで生活のリズムを崩さない人だったが、俳句ではNHKで賞を貰った事がある。

残念ながら俳句はまだ理解できてない。

C−INA家(笑)に俳句をする物は他にいないし、やや芸術系なのは僕と両親だけ。

他は学校教師や公務員など、ややお固めなのである。

余談で恐縮だが、昔おじいちゃんが家に来るという事で、僕の父が知ってか知らずか

思いつくままは行くみたいな物をメモに書いて自分の机に置いていた。

父は仕事に出て行き、おじいちゃんは後から帰って行ったのだが、

そのメモを見つけて同じ内容で表現の違う句をそのメモに書き直していた。

残念ながら今となってその内容は判らない。でもおじいちゃんは嬉しそうだった。

何時かきっちりと俳句が判る様になりたいと思ってはいる。

短大の学生時に、絵画専攻だけの展覧会が行われた。

僕は張り切って、版画の実習室までおジャ魔してオリジナルの招待状を作ったりした。

おじいちゃんにも嬉しがって渡すと、高齢なのにわざわざ独りで学校まで見に来てくれた。

今でも油絵はあまり数を描いていないし、

当時のもおじいちゃんに見てもらうにはレベルの低い物だったと思う。

「良くこれだけ描いた」と誉めてもらったが、これからはどんなに努力をしたとしても

もうおじいちゃんに自分の作品を見てもらう事は出来ない。

別分野であっても、一生かけておじいちゃんに評価してもらえる作品を作りたいと思う。

僕の考える芸術とは、デザインやイラストレーションなどよりも

その作者の晩年から冴えてくる高い領域の物。

そしてそこに行き着くまで努力を続けた人にしか入れない世界である。

例え自らが生み出せなかったとしても、

高い芸術の素晴らしさをきっちりと理解できる人間ではありたいと思う。

(見る眼を磨かなければ、それも理解する事が出来ないが)

《あいちゃん自身の結婚は、幸せであって欲しいな》

あいちゃんと言うと、どうも「結婚がらみ

()」と言うことになってしまうが、

これは決してオーバーではなくて有り得る話。

ぼく自身はいまだに結婚の経験がないが

(←しろよ笑)

親族を含めて必ずもめ事が少しはあるもの。

ただ違う家系の人々が結びつくだけなのだが、大変だと感じている。

今となっては若い人達の立場になって「好き同士なんだからいいジャン」みたいな事は、

影で泣く親なりを見てしまうととても言う事が出来ない。

あいちゃん、お母ちゃんを責めるあいちゃんのおじいちゃんにしても、

当事者達は良かれと思っての結婚でも、

それによっておばあちゃんが亡くなってしまった事は事実なのである。

おじいちゃんが悪い人とは言いきれないのである。

しかし結局あいちゃんは、今回どれみおじいちゃんのひざの上に座る事が出来た様に

きっと自分のおじいちゃんとも仲良くして行く事でしょう。

あいちゃんカッコイイ!

《続くのかな?》

どれみっチのおじいちゃんとお父さんとの中が悪いのは、

おそらく透き漆塗りの後継者の問題であると思う。

どれみおじいちゃんは、善十郎とマユリ、カエル石の為に二つのお面を奉納し続けている。

春風家はマジョガエルに縁のある家系なのだろうか

()

物語の中心となった謎のマジョガエルも、魔女界と人間界をさまよっている

マユリの霊

()も、結局どれみっチ達の前には姿を現さなかった。

今後TVで何か展開があるのだろうか。

お年寄りが「もうすぐお迎えが来る」みたいな事を言うのは、

ある意味家族なりに取り残される淋しさだったりもする。

これだけの子供達に「生きていて欲しい」と言われたどれみおじいさんは、

おそらく来年も、彼女達と一緒に夏の夜を過ごす事だろう。

《もういいでしょ?

()

他の二作は、観ていない。当日映画館にいた三人共、それまで徹夜続きだったので

その間は皆眠ってしまい、どれみっチを2回観て出る事となった。

個人的には、みんなが泣いちゃうシーンだけ違和感があったけれど、

他は申し分なく気に入っている逸品である。ソフトは必ず購入したい。

《どれみっチ一本で映画を

!!

やはり思うのは、『せめて一時間ぐらいのどれみっチの映画が観てみたい!』

という事である。スタッフがあんなに頑張っているのに残念である。

どれみっチは、親子で観ても良い作品である。

僅か25分間で大の大人が泣いていたりする。

(僕じゃないです笑。あ、Brettさんでもなかったなぁ笑)

TVシリーズが終わったら、総決算でやってくれないだろうか。

また会えるけど、もう会えない夏。

どれみっチ達の「小さい頃の思い出」も、後いく年となっている。

《おまけ》

地元のお祭りに「ガシャくじのお店」を出店する準備の為に、

その前日の昼間は松屋町を回っていた。

どれみっチグッズと言うのは、こちらが思っているほど多くはなかった。

本来ここは小売りはしないのだが、在庫が3枚しかないのをいい事に、

どれみっチのふくらましものの腕輪を手に入れた。

嬉しがって劇場でも、その後の食事のばでも腕に付けていたのだが、

Brettさん曰く、

<Brettさん>「それは、#の在庫分ですね。」。

<C−INA>「えっ、そうなの?」

<HASE3>「衣装を見れば判るよ。当然でしょう?」

裏を見ると「おジャ魔女どれみ#」と書いてあった。

…我の「どれみ道」、レベル低し

()
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