『ひとりぼっちの夏休み〜今頃I

LOVE どれみっチ(笑)』

《最初に出会った「うっとうしい奴」》

「おジャ魔女どれみ」を最初に観て一番「うっとうしい奴」と思ったのが本編の主人公である「春風どれみ」っチなのであった(笑)。彼女は、ハマーン様(Z&ZZガンダム参照)に「この俗物がっ!」と言われそうなぐらいの俗物である(笑)。僕の好きなタイプの女性と言えば、女優だとマレーネ・ディトリッヒ、イングリット・バーグマン…モデルだとヤスミン・イゴール、アニメキャラだとキューティーハニーお姉様、メーテル、マチルダ・アジャン、ライラ・ミラ・ライラ、マリア・タチバナ、神崎すみれ…と、ほぼルックスはカッコ良くて美しさでも申し分ないスーパーウーマン・タイプが主である。どれみっチが彼女達と比べれられれば、正に「月とスッポン」ぐらい(失礼!)のビューティー度の低さである。しかし最近は、このどれみっチに僕は熱烈LOVEになってしまった!

「おジャ魔女どれみ」で「あ、いいね」と思ったのは、「#」での♪ちゃんのお父さん初乗り車掌のエピソード。当然4人の中でも♪ちゃんがNO

.1だった。(ぽっぷちゃんもある意味「出来る子」なので今はNO.2笑)しかし先に上げたヒロインや♪ちゃんにしても、どちらかと言うと「遠くから見守っていたい」高嶺の花。でもどれみっチと言うのは、仮に出会う機会があったら、

「おお、どれみっチ!良く頑張っているネェ!!」

と駆け寄って、抱きしめてほおずりしてあげたくなるタイプなのである(気持ち悪い!←byアスカ・ラングレー笑)。(抱きしめないにしても、両手で握手をしたら<どれみ>「いやぁ、どうも〜」なんて言ってくれそうである笑)ちなみに他の4人を抱きしめてほおずりをしてしまった場合…

<はづきちゃん>「きゃああ!マジョリカ、マジョリカ…」

<あいちゃん>

「わっ!なんや、このオッさん!!」(バコーン!!←JET!笑)

<ももちゃん>

「OH!オジさん、ぽっぺも頭もお肌スベスベネ(笑)。」

<♪ちゃん>

*親衛隊に殺される。

という感じでしょうか(ファンの方、ゴメンナサイ)。

《大バカにしていた「希望の星」》

最初は大バカ(笑)にしていた「おじゃ魔女どれみ」が、今や週一のお楽しみ、35歳のオジさんの心の支えになってしまった(笑)のは、やっぱり今自分の置かれている状況が大きな原因であると思う。事情で昼勤・夜勤と肉体労働系のバイトばかりしているのだが、大概職場の人達の話題は「女・パチンコ・競馬・風俗」等の事。金髪・茶髪で、ブカブカと煙草を吸ってバカ話をする若者ばかり。帰宅時間には学生達の登校時間と重なり、電車の中では年齢不詳な格好をしてケータイを手放さず、大声で汚い日本語を喋り続ける学生ばかりが目に付いてしまう。夜勤の出勤時は、夜道をくわえ煙草で歩く女性を見たりすると、「この人はいつ美しさを見せているのだろうか」と「余計なお世話」的な考えにとらわれてしまう。

自分の欲求には忠実であっても、周りの人の事を考えて少し小ギレイに生きようとする人が少なくなってしまったと感じるのだ。もうここのまで来ると本当に「時代に取り残された年配者」状態である。最近は「空想生命体グッズ」を身に付けたり、購入する事に抵抗を感じなくなってきた。外社会と接する事が、僕にとっては本当にストレスを感じる物になってしまった。「空想生命体」と触れ合う事で、僕は何とか心のバランスを保っているのだ。そしてこれは僕にとって、「合理的に生きるのが良し」と勘違いして「理想世界に生きようとしない」人達への反発の意思表示でもある。

ネット等で出会う「空想生命体」に触れた人達は、大概心のキレイな人達である。僕には「空想生命体」の世界はキャプテンハーロックの「我らの旅立ち」ではないが、「いつか忘れた夢がここにだけ生きている世界」なのである。

今や小学校5年生の女の子でもスレた印象を持つ子が多い。そんな中「おじゃ魔女どれみ」がヒットして支持を受けていると言ういうことは、ある意味そういう世界が求められている訳で、僕的には心強い気持ちになる。しかしもう既に心がスレてしまった人達には、「どれみ」の世界はこそばゆくて受け入れられない物となってしまっているかもしれない。1999年の年賀状に僕は、銀河鉄道999の絵を使って「永遠に少年の瞳」と記した。「スレた心になる」が「大人になる」では、決してないと僕は思っている。

今のジャパニメーションの大概は、商品売り上げなどを重視した物や、視聴者の生理的欲求を刺激する仕掛けがイチイチ仕込まれている。「どれみ」っチも商品を売らなければならないのだが、例えば彼女達5人の水着姿は見せない等、ある種業界の傾向へのアンチテーゼとも取れるスタイルを取っているフシがある(一部商品で例外がありました)。富野監督や「千と千尋の神隠し」を発表した宮崎監督にしても、「何かをしなければならない」という苦悩が感じられる。富野さんと「どれみ」っチばかり持ち上げるのは、そういう理由からである。全ての作品画にそうしろと言いたいのではない。ただ今の僕が彼らに傾倒しているだけの事である。僕の過大な期待が入ってしまっているのか、「おじゃ魔女どれみ」には「秘めた高い志」が見えるのである。作品と言う物は、表面に見えている物より遥かにそれを形作る多大な労力や想いが懸けられている物である。良く見れば、緻密さにおいてその作者の能力が見えるのである。「おじゃ魔女どれみ」は、今や僕にとっては「希望の星」なのである!

《「どじみ」ちゃんで良し!》

さて、その「希望の星」を本人は自覚もなく、しかし制作者には色々と手間を掛けながら作られつつ引っ張っているのが、「春風どれみ」っチなのである(爆)!彼女の髪の色やトータルカラーもあるが、どれみっチが主役であることにはそれまででも違和感も不服もなかった。穂かの4人に比べ、全く特筆すべき特技もないどれみっチが、抜きん出ているのは、「相手の気持ちと一つになろうとする心と、その行動力」である。他の4人にもそれぞれにドラマが用意されていて、それぞれに得意分野やがあったりして個性的なのだが、それらをつないで、ドラマの陽と笑いの部分を最も司っているのはどれみっチなのである。一度彼女のいないお話しを作ってみるのもいいかもしれない。思った以上に「おとなしい話」になるはずである。

初対面からどれみっチが嫌だったのは…良く考えてみると、僕と良く似ている所があるからであった。今までの経験上僕は「完璧だ!」と言える事をした事がない。何かあってそれに対応しても、必ず「何か一つ忘れている」のである。僕の好きな人物の傾向として、アーネスト・ホースト等ある種「完璧」と言われる人達が多い。長州力的「一直線力押し」キャラは、好きではない。ホーストの様に体格的ハンディも、その卓越したテクニックとクレバーな頭脳で乗り越えてしまう人にシビれるのだ。これはつまり、ぼく自身が本当は「完璧」でありたいと欲求している事への現われである。

食い意地の方もかなりあって、目の前に出された料理などは全て食べてしまうし、後の為に余分目に買い物をしておいても、結局食べたかった物だったらまとめてその時に「全部食べてしまう」。今はやや気遣うときもあるが、「食事制限」や「メシを抜く」と言う事がほとんど出来ない。小さい時、買い物用に貰ったお金や、今は自分のサイフにあるお金は、その時でほとんど使い切ってしまう。

階段を踏み外して「コケる」事も多い。出掛ける間際になって家の鍵や眼鏡のありかを部屋中捜しまわって、結局遅刻する(笑)。人が見ていないと仕事をサボったりする等々…(笑)。「魔法でドジが直ったらいいのに…」は、ぼく自身にも切実な願いだったりする。

しかしどれみっチの場合、その「どじみ」な面もカワイイし面白い(笑)。他の子は後天的に本人の努力によって魅力を作り上げた(ももちゃんの場合はアメリカの環境が影響)所があるが、どれみっチの魅力は全くのナチュラルなのである。僕的にどれみっチが一番輝く場面は、「人を励ます」時。特にお姉さん・お母さん的な立場で子供をあやしたりするとき。後は相手の為に「何かしてあげたい」と奮戦苦闘する様(笑)が、まぁありがちではあるが共感を呼ぶのである。本人の魅力は、どれみっチが自覚していない所で最も発動しているのである。普段は「どじみ」でも、仲間が窮地に立たされると力を発揮し、僕の予想では一番最後に最高の才能を発現させるのがどれみっチなのではないかと期待しいている。

しかしこのままで行っても、どれみっチはどれみっチである。今回のお話しは、途中からラストが読めてしまっていたが、これは色々観てきたオジさんだからという事で(笑)。どれみちゃんがこうして一杯みんなからプレゼントを貰えたのは、きっと魔法のおかげではないはず。魔女界とのつながりがなくなっても、「なんだかわからないけど人気者」でどれみちゃんは行くだろう。「相手の気持ちと一つになろうとする心と、その行動力」、そしてそれを無垢にやってしまう女の子。どれみっチって、実は5人の中で一番いそうでいない女の子なのかもしれない。

がんばれ!「おじゃ魔女どれみ」!!

どれみちゃん、お誕生日おめでとう。

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