映画『デジモンアドベンチャー02』への抗議文

 

「この映画の抗議文を載せる!」と映画館で言ってから、もう一ヶ月以上経ってしまった。自分自身、ある事情でいきなり独り放り出されてしまって、未だに試行錯誤の日々が続いている。現実は厳しいが、あれこれ自分これからについて考えるのは楽しい事だ。チャンスをくれる人に感謝している。

友人との付き合いで、7月8日

()初日『2000夏 東映アニメフェア』を映画館に観に行ったのだ。我々の本命は、二本立てと言いながら僅か30分しか放映されない『映画おじゃ魔女どれみ#』である。こらちは駆け足でストーリーを進めたからなのか、各キャラクターの喜怒哀楽が極端で、30代のオジサンにはややクサい感じがしてシラ〜ッとしてしまった。テレビで観た時(実は、前編通して観た事があるのは一回しかない。おんぷちゃんが主役の回だった。)はもう少しスムーズな感じだったのだが。観終わった後率直な感想は、

『劇場の外まで出てしまうほど引いてしまった』だった。

いや、テレビで観たおんぷちゃんは良かったですよ。ただビデオとかで全話観てみたい!と思う程ではないので…スイマセンねH君。

そしてその次に、『映画デジモンアドベンチャー02』を観たのだった。一度もテレビで観た事がないのこの作品の印象と言えば、「ああ、ポケモンの二番煎じね。」でしかなかった。しかし個人的には、こちらの方がセンスは良い様な気がした。上映が始まると

『…なんだこれは?』と戸惑ってしまった。

ポケモンは、テレビで観た事があったので、『デジモン』もそういう物なのかと思っていたのだった。しかし目の前の映画は、特に状況説明をするでもなくクールに淡々と進んでいく。明らかにストーリーの進行が大人びているのだ。まぁ劇場と言う事で、ある程度トーンを押え気味に話を進めても、大スクリーンと大音響、作画のクォリティーが雰囲気を作ってくれる。しかし見続けながら、「これはラストを相当盛り上げないとなぁ…」と、勝手に客受けを心配してしまっていた。

普段我々の行く映画は、アニメや特撮ものが主な為、子どもや家族連れの観客が映画館に多くなってしまう。よってそれらの映画を観ている最中に子供達が騒ぎ出し、悪い時には『この次○○は、××するんだよ!』と、話の続きの展開まで教えてくれたりする

()。その為、子供達が多くなる夏休みや冬休みは極力避けて映画館に行く事にしているのだ。今回もそうとはいえ、土曜日の初日なので子供達がいるのは仕方がない。そもそも我々がターゲット外の客なのだと思う()。話が少し『おじゃ魔女』に戻るが、普段はアニメとかに縁がない人でも子どもと一緒にテレビで観て、「『おじゃ魔女』は良い」と言うお父さんを何人か知っている。お父さんお母さんにも誉められる『おじゃ魔女どれみ』なのである。今回も我々と同じ「ターゲット外」のお客さんを何組か見かけた。女の子のグループは『デジモン』目当てなのか?男の子のキャラクターに人気がありそうだ。

しかし今回は子供達が騒ぎ出す心配はなかった。子どもどころか、

『劇場すべての観客がシーンと静まりかえっていた』のだ。

『デジモン』のテレビ版本編を知らないので、説明に誤りがあるかもしれないがお許しいただきたい。夏休みを利用してアメリカに済むミミと楽しい観光をしていたタケルとヒカリ。しかし突然ミミは二人の目の前から消え、その後「チョコモン」と言う巨大デジモンが出現し、まちを大暴れしているのに遭遇する。その巨大デジモンを止めようとした少年ウォレスとデジモンのグミモンが、ミミの消失と関係すると考えたタケルとヒカリは、ウォレスの後を追うのだった。

「ポケモン」がアメリカでも大ブレイクしているのを受けてか、舞台がアメリカだったり、ウォレスも時には字幕なしで英語のセリフを言ったりする。英会話もやっている今の子だったら、これぐらいは問題ないのだろう。

ヒカリから助けを求められた大介、京、伊織達も日本より合流。そして仲間の太一や空、ヤマト達までも行方不明である事が判った。消息を絶った子供達は、得体の知れない空間の中にいた。しかも時が経つに連れ、彼らの肉体が幼くなっていく事に気付くのだった。

グミモンと共にウォレスのパートナーだった「チョコモン」は、いつしかウォレスが成長し、グミモンとも自分との心の距離が離れていくように感じていた。「チョコモン」は、昔の幼く自分に優しいウォレスを求めていたのだった。

「これは、ラストを相当盛り上げないとなぁ…」と心配しながら観続けていたのだが、何とこのまま山場も山場らしくなく平たんに終わってしまった。一時間ほどに渡る話の中で、子供達が嬉しそうにはしゃいでいたのは前編と後編間のカウントダウンだけだった。

不快感と怒りが込み上げてきた。

作画やストーリー運びなどを観ると、スタッフの人達はかなり実力があるし、意気込みも有ったように思われる。しかし、こんな作品を『東映アニメフェア』の『デジタルアドベンチャー』でやってはいけないと感じたのだ。子どもの心の内面を描写したような物としては、「エヴァンゲリオン」を思い出す。後画面作りは押井守監督とか。どちらも高い評価を受けてはいるのだが、近頃これと同じ様なスタイルの作品をよく目にする。先までウルサく指摘していた「TV版サクラ大戦」もそうだし、後はタイトルも良く知らないがややオカルト系のアニメの作品達。映画界、特に日本映画でもサイコ系と言うのかその手の作品が作り続けられている影響なのだろうか。『デジモン02』はそれほどエグいものではないのだが、とにかくアクションになっても何か静かな進行をするのだ。色はアンダー系で彩度を落し、BGMも耳に残らないぐらいあまり使わない。

先程の前編と後編のカウントダウン、デジモンの「アーマー進化」時の場面などを観ると、テレビ版は「ポケモン」のような明るい展開をしているドラマである事が感じ取れる。パンフレットを見ても、デジモンの進化や新たな相手との対決など、読んだ子供達を期待させるPR内容だった。今回の映画がもし、「戻れない時と成長への苦しみ」とか「時に取り残されていく不安感」とかだったとしても、同じテーマで明るく描く事もラストの大決戦を大いに迫力ある、痛快な物に描く事も可能なはずである。TV版と劇場版が同じスタッフなのかどうかは確認してはいないが、どちらにしてもこれは制作側が意図的にこのような造りにしたのだと思われる。技術的にどれほど優れていたとしても、こんな描き方を『デジモン』の『劇場版』でやると言う事自体が

『間違っている』と思う。

『デジモン』は基本的に先の「エヴァ」などと違い、ターゲットの年齢層が低い。「エヴァ」の劇場版を観に行く観客には、「そういう内容を見る事になる」と言う認識があったはずなのだ。『東映アニメフェア』と言うのは、おそらく小学校低学年くらいまでの子供達が、夏休みや冬休みのお楽しみとして、両親におねだりして観に来るイベントのはずなのである。

お話しが終わってエンディングが流れ、家族連れの観客が劇場の外へ出て行く。この時嬉しそうに会場を後にしているような子供達は、僕の知る限り全くいなかった。親も「連れて来て良かった」とは思っていなかっただろう。評価以前に、観客をほったらかしにした制作者達の姿勢に呆れてしまった。

パンフレットを観ていると、何やらこれは「バンダイ創立50創立周年記念作品」と言う事である。「記念になる何かメッセージ性の強いものを」とか要求があったのかもしれない、「普段はイベント的な内容の物を作っているが、もっと作家性の強い作品が作れる事を証明したい」とか、狙いがあったのかもしれない。しかしその映画が終わった時には、子供達も喜んで、お父さんお母さんも「面白かったね」とか話しながらその日を過ごせる物を作らなければならなかったのではないだろうか。

自分が欲する作品を作りたいのであれば、それは自らの力でその機会を引き寄せてやるべきである。日本のアニメーション現場の現状が相当悪いと言う話も聞く。制作費やスケジュールの制限が非常に厳しいとか。しかしどうであっても「クッソー、もっと条件良くしろバカヤローッ!」とか現場で怒鳴っていたとしても、出来上がった作品はキッチリ「明るく夢のある作品」とかになっていなければならない。別にアニメーションでなくても、何でもそうである。純粋に自分だけの作品を作りたいのであれば、ホームページとかにお話しなんて書いていれば良いのである。プロが世に出しているのは、「お客様に買っていただく商品」なのである。その事を忘れてはならない。

最近のアニメーションを観ていると、色々と不快に感じる事がある。前に言葉使いとかも言ったが、特に「自分流と言うのは、世間に認められてからして下さい」と。「オレはオレ」と出来るのは友人同士であったとしてもお互いが認め合ってからの事。これがもっと公に、例えばアニメのキャラクターが国の王様なんかに「オレはオレ」なんてやったら、ヘタをすれば彼の出身国自体が「礼節も知らぬ野蛮人の国」とか印象を持たれたりしてしまうかもしれない。儀式的な決まり事や、マナーなどを「押し付け」と思う人が多いだろうが、これは見方を変えると「一つのセレモニーを成立させる為の共通ルール」だったり、「友好の意思を表す共通ルール」だったりするのである。このような場所で「オレはオレ」とやっていたら、一体どちらがより多くの人々に「自分流を他人に押し付けている」事になるのだろうか。

記者会見などで公に自分達の作品をPRするのならば、深々と顔を隠すような帽子を被ってTシャツとかでボソボソしゃべるのではなくて、せめてジャケットぐらいは羽織って笑顔で応対する方が一般的には印象が良いし、主催者側に誠意があるように見える。自分流でやってもいいが、その時は別のアプローチで記者会見を成功させる事をすべきである。出来ないのならジャケットと笑顔の方が良い。

「自分流をやるな」と言いたいのではない。やりたいのなら「効果的な方法で成果を上げる」か、「受け入れられずに孤立する」事も覚悟してやって欲しい。

「独りにしないで〜!!」と醜く叫んでいる「チョコモン」が、実は「オレはオレ」やっといて独りになった、スタッフの誰かは知らないがあなたの心の叫びではないでしょうね?

「チョコモン」の寂しさは、ある暗黒の力によって利用されていたというが、こんな暗い御時世に影響されて暗い作品しか作れないアニメーションのある関係者自体が、ジャパニメーションに影を落す『暗黒面』ではないでしょうね?先の「チョコモン」が叫ぶシーンでは、本当にそんな連想をして独り不愉快な気分になってしまった。

他ではどう評価されているのかは知らないがこれを観た時に、楽しみに劇場に来た子供達の心を裏切った作品であると思った。これで「名作を作った」と思っているのなら、考え方を改めていただきたい。

自分を救う作品ではなく、子供達を救う作品を作って下さい。

非常に批判的な内容の物を書いてしまった。

「あなたの考え方は間違っている」

「あなたの文章で不快な思いをした」

という方は、当ホームページの掲示板にその思いを書いていただいても結構です。ぼく自身が不快な思いをしてこの文章を出したからには、同じ様な方がいれば、僕も受け止めなければなりません。ただ討論をして何かの結論を出そうと言う趣旨で書いている訳ではありませんので、よろしくお願いいたします。

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