『イデオンを笑うなっ!!』

《イデオンのハッピーエンド??》

大人げないこととわかっているのだが、

自分が愛している作品を笑われるのはどうしても我慢できないです。

ちょっと個人的なので読んでいただける方はご了承ください。

まず今回20年目にして「伝説巨神イデオン」の同人誌が発行されていることは

とても嬉しいことです。

富野さんの作品の中でも、「イデオン」はぼくに多くの物を与えてくれた作品です。

各人それぞれに思い入れがあり、その評価や描写も様々であるのは良いことであります。

でもそれと同じ様に、その作品に異議を唱えることも認められると思い、後は我慢するつもりだったが我慢しきれないみたいなので、ここに書いてしまいます。

まず驚いたのが、「THE IDEON 発動編」否定派の方が多く居るらしいという事。

つまり「ソロシップ、地球、バッフクランの和解が成立して終わって欲しかった」ということだろうか。当時のファンとして、この気持ちは分からないではないのだが、これはぼくとしては「イデオンではないだろう」と思ってしまう。「イデオン」はここまでのエピーソードを描く為に作られた作品のはずなのだ。ぼくはこれで逆にハッピーエンドだったらファンを止めていたことだろう。

「イデオン」が評価される一つとして、それまでの日本のアニメに出てくるようなキャラクターとは違う、個性的、ある意味では人のアクのような物を表現したキャラクターが多く登場したことがあると思う。これが「他は見ないけどイデオンだけ見た」という人が居る理由の一つだったらしい。「イデオンだけで富野さんは嫌」という人も居るらしい。ある種の人物描写のリアリティというのが評価されたのであれば、「イデオンのラストはああなるだろう」と思うのだ。

特に詳しい説明はしないが、「イデ」その物の存在を否定する方も居る。最期に地球人とバッフクランを滅ぼした「イデ」が認められないらしい。ぼくの解釈としては「イデ」は「個人などの都合に全く関係なく進む時の流れ」、時にある支配者の意志などを抽象的に表した物であると考えている。

例えば「あなたはゴキブリの都合を考えて殺してるんですか」ということ。我々もゴキブリとっては「イデ」かもしれないという事。(ここらの解釈が庵野さんの「トップをねらえ!」や「エヴァンゲリオン」に反映されたのかもしれない。)世界は「個人の考えや理想などとは全く関係がなく」動いている物があるという事ではないかと。

後「理想を持ちつつも違う生き方をしてしまう人、人々」という事。ぼくがこの作品の中で一番泣いたのはハルルが父に会って「妹を殺してきた」と報告し泣くシーンである。「妹は自分の好きな男の子を宿せたのに、自分は好きだった人の遺言さえ手に入れられなかった」ただこの巡り合わせの違いに嫉妬し、自らの手で自分の妹を殺してしまった。本当に許されることではないのだが、この時のハルル苦しみを感じて泣いてしまったのだ。しかしこんなことをしても苦しみから逃れられるはずはないのである。それでもやってしまう、

ぼくはここに「人」を強く感じてしまったのだ。

ドバもこの時は「父」をハルルの為に演じていた。始めは「アジバ家の血を汚さずに済む」と対面上の助け船を出し、しかしその思いに自分の本音をさらしたハルルに、「しかる父親」を演じた。あの時ドバは充分にハルルの願い通りの父親をやってくれたのだ。しかしその優しさを持つ父も、結局は自分の苦しみのハケ口として「イデ」との戦いに突き進んで行ってしまう。

組織は、理念などで動いていく物ではない。その主だった人達の「心底の念」で動かされているのではないかというのが、ぼくの僅かな経験での感想。富野さんが示してくれたサンプルと合っていることは多かった。

「イデオンには恋愛経験がない人ばかり」という書き方をされる方も居た。ぼくも恋愛経験はない方だからその辺は分からないのだが、「じゃあその恋愛経験が豊富な人は、イデオンみたいな凄い作品を書く事が出来るんですか?」と尋ねてみたい。人間の能力は同じ与えられた時間の中でどこに使っているのかの違いである。この場合だと優れた作品であるかどうかが問題なのであって、恋愛経験が豊富ということは能力の一つ以上の評価をされるものではないと考える。

「リアリティ」が評価の一つであったのであれば、作者の差し出した厳しい「現実」の一つを受け入れなければならないのではないだろうか。あの悲惨な人生の中でも、「俺はこんな生き方なんぞ、絶対認めない」と叫んだコスモは勇ましかった。結局「イデオン」でぼくが嫌いな人は独りも居ない。皆よく生きていたと思う。ぼくにとってはあれ以外のイデオンは考えられない。

《イデオンデザイン論》

もう一つある。イデオンの「デザイン」についてだ。

ぼくは「イデオン」のメカニックから設定、コスチュームのデザインに至るまで、

これほど挑戦的にそして良いデザインを生んだ日本のアニメーションはないと思っている。

設定のアラ等は特に言わない。

まずメカニックのデザインなのだが、「ガンダム」などに見られる「目・鼻(他では口)」の顔があり、「二本足で立つ長方形のはこの固まり(イデオンもそうなのだが笑)」のようなロボットのデザインという物が、造形的に「優れたデザイン」と言えるのだろうかということである。ロボットの予備知識などがない造形家などが見たらそれらの物は退屈なものか、ただデコラティブな物に映るのではないかという事。これは昔から「ロボットアニメ」なる分野に慣れ親しんだ人々にだけ通じる価値観であると。イデオンに出てくるメカはグロテスクなのだが、例えば発表会で見られるフランス乗用車のデザインのように「グロテスクな物もデザイン」なのである。

次にコスチュームである。

自己紹介にも書いているが、一応ぼくも「ファッションデザイナー」目指し、

ショップも経験し、ヨーロッパのコレクションも多く見た経験もある。

ただここは正直に「プロのファッションデザイナーの経験はない」といっておく。

その経験上で言わせていただくと、

「イデオンほどオリジナリティがあって良いデザインをした日本アニメはない」

とぼくは考えている。ある制服などは、おそらく「スタートレック」を参考にしていると思われる。元になっている「スタートレック」の衣装も良い物である。まず業界人として面白いのは、イデオンの人達の衣装は「服のハギ線の切り替えを使った色使い」をしていること。そしてそのカラーリングが他の日本アニメと違って斬新であったこと。さすがにシルエット(名の通りディティールではなく全体的な造形としての美しさ)とまでは行かないが「カッテング(パターンから裁断した生地で形を表現する)」を意識したデザインを行っているという事。カララのソロシップに来てからの普段着が「寝間着見たい」という意見も。しかしあの衿使いは良い。カララのような華のある人でないと似合わないが。オーメ財団の私設軍隊の制服も面白い。ベルトの大小等は、その時代のトレンドであって問題はデザイン的に良いかどうかである。

後ぼくが例として出したいのはアニメージュでの企画記事。

「ガンダム」「イデオン」と、他もう一作あったと思うが、「セイラ」と「カララ」の衣装をプロのファッションデザイナーが評価してそれぞれにオリジナルの衣装をデザインしたというもの。他の2作に関しては辛い評価だったのだが、「カララ」だけはベタ誉めで、

デザイナーが出したデザインよりも「元の方が良い」と言わせたほど。それがカララのバッフクラン時の衣装。確か普段着の評価も良かった。古くはピエールカルダン、ちょっとオーバーだとパコ・ラ・バンヌ、今だとクロード・モンタナやテリー・ミュグレーなどがコレクションに出してもカッコイイと思う。もちろん「日本人では似合わない」。

やっぱり素材と縫製が重要。普通コスプレで使う素材ではどうしても安っぽくなってしまうのである。

《ファッションデザイナーがベストではない》

後実際の服とアニメーションで服を描いた場合での違いも言っておきたい。

今手元にないのだが、「バルディオス」の劇場版で「NICOLE(二コル)」のデザイナーだった松田氏がアフロディアの衣装をデザインしたことがあった。確か薄いピンクで大きな羽か葉のポイントの入ったドレスだった。実際作るとしたからシルクタフタとかオーガンなんか組み合わせて刺繍入れたりすると思うのだが、これが映画の中では全然マッチしていないのである。実際にいい服のデザインだったとしても、セル画などで描かれてしまうとその質感が再現できないし、それぞれに理解できていないことがあったりして活用できなかったりするのである。特に軽い素材などは手間かが掛かって表現できないだろう。

後は細かいディテールに凝っても表現できないので大まかになるだろう。アルマーニの服などをセル画に起こしても仕方がないのである。

更にもう一つ書いておきたいことがある。

それは「マクロス」の劇場版のリン・ミンメイのステージ衣装。これをあるデザイナーさんがOUTだったと思うが「ダサイ」といったのが反響を呼んであるアニメ評論家が「ダサクて結構!でも俺達にはベスト!」と発言し、「何でファンは反論しないのか!」と怒っていた。当時でも今見ても、確かにぼくには良いとは思えないのだが(笑)、これがセル画のアニメーションで表現するとなると、そのデザイナーさんが仮にデザインしても「全然ダメ」だったかもしれないのだ。「ダサイ」と認識いただくのも必要と思うのだが、自分が好きだったら「俺は好きなんだ!」と言えば良いと思う。そして彼らに対してはそのデザイナーさんのデザインは全く通じないだろう。つまりアニメコスチュームのデザイナーとしては「使えない人である」という事。

デザインと言うのは、ファッションのように時代とのマッチがビジネスとしては重要である。しかし時代に評価されなくても関係者などが評価する「良いデザイン」という物も存在するのである。プロだったらその辺を個人でしっかり持っていないといけない。しかし前者の意味では、顔のあるロボットをデザインするのもひとつのベスト・デザインとも言えるのである。

《イデオンを笑えますか?》

ここからも見苦しく蛇足であるが書きたいです。スイマセン。

イデオンのTV版を見てその文章を書いた方とバンド仲間の方が「笑った」そう。

まあイデオンのTVの作画はあまり良い物とは言えないが、先に述べたこともある訳です。

どうもその方はグラフィック系のデザインをされている方らしく、同人誌のイラストもセンスの良い物だと思う。どのようなバンドであるかは確認が出来ないので何とも言えないが、おそらくセンスの良い方であると認めて言いたいのは、「あなたのベストと思っているセンスは狭義な物です」ということ。どんなバンドであっても、(イラストで見るとかなりアバンギャルドのようですが)一つのセンスとして認められたとしても、評価しない人も存在するという事。プロを自覚されるのであれば、その認識と使い方をしっかりしていただきたい。プロなら「自分が好きではない物でも評価が下せる」事が出来なければならないと思う。「これはこれでいいけど自分は使わない」という感じで。

後イラストで表現されている衣装ですが、センスは良いですが「オリジナリティ」がありません。今流行っているスタイルをパクってアレンジしているだけです。先も言ったようにSFというのもありますが、「イデオン」のデザインは「トレンドを意識した」物ではなく、「作品世界を構築する」為のデザインであり、そして今もぼくの興味を引く「オリジナリティ」があるのです。ここら編を本当に勘違いしている人が多い!プロのデザイナーというのは結構ですが、それならなお「イデオンを笑う」のはやめていただきたい。この認識なくて無神経に笑っているのならば、ぼくの評価としては「素人」です。

今の日本のアニメーションは凄くセンス良くなっていると思います。でもそのデザインは今の服のパクリが殆どで、ぼくにとってオリジナルで素晴らしいと思ったのは「イデオン」のみです。

最後にもう一つ言っておきたいのは、その「カラーリング」!

一応美術学校も出で色彩も学んだ身だが、「イデオン」ほどテクニカルで美しい「カラー」を見せてくれた日本のアニメーションはない。特に発動編!色指定の滝沢さんが良かったのか、湖川さんの色彩感も素晴らしい!他の作品は大体その使い方にメリハリがなく「平面的」に見えてしまうのである。近頃はアニーメーション学校では「色彩構成」に力を入れていないのではないかと考えてしまうほどである。

以上です。本当は御本人に直接メールすれば良いのですが(もちろんしますが)、

ただそれだけでは押さえ切れないほどだったのです!!最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。「掲示板」の方へあなたの感想をお書き下さい。ご批判でも結構です。別にケンカとかもしません。謙虚に伺います。

(強制ではありませんので、どちらでもどうぞ)

2000年11月20日

C−INA

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