「ブレンパワード」を観た感想文

今頃ではあるが、「ブレンパワード」が見終わった。色々と感じる事があったので後の『私の好きなもの特集』のネタにしようとも思ったのだが、それまで待てないような気分なので急遽ここに書きたい。特に資料を当たってこれを書いているわけではないので、不備な所はお許しいただきたい。

富野監督は、今までに「海のトリトン」「ザンボット3」で勧善懲悪を脱却したり、「ガンダム」でロボットを戦争兵器にしたり(これは富野さんではないかもしれない)「イデオン」では出演者が皆死んでしまったりと、「ロボットアニメ」を中心としてこの分野では数々の試みをしてきた。今回の「ブレンパワード」では「最後の決着戦をやらないロボットアニメ」を作ってしまったナーとまず感じた。過去の作品に比べると、極力破壊しない、人の死なない様に心がけていたような気がする。

それまでは、「ガンダム」でスペースコロニーとか、「地球の重力」からの解放とか、外宇宙へ新天地を求めるような話が多かったが、今回は「地球から逃げない」と言ってしまった。ヒメちゃんは「私は逃げない」と言った時、「イデオン」の頃ゆうきまさみさんがパロディまんがで、富野ストーリーの定番として「宇宙船逃げる!」と言うのを挙げていたのを思い出して一人で笑ってしまった。これで行くと今は、「一度舞台から逃げ出した人が『仮面』を被って戻ってくる」と言うのが定番の一つになるのだろうか。「昔言っていた事と違うじゃないか」と言う意見も出るだろうと思われるが、人は成長していくのだから、その時作家が見つけたベストなものを提供すれば良いと、僕個人は考えている。むしろキャラクターを借りて「僕は逃げていた」と言った富野さんは素晴らしいと思う(これは今までの事を踏まえて、僕が勝手にそう感じている事であるが)。

《キャラクターが立っていなかった》

正直に言ってしまうと、「ファーストガンダム」とか好きだった僕としては、最近の富野さんの作品は物足りないのである。しかしこれは富野さんが意図的にやっているのではないだろうかと僕は思っているのだ。「メカアクション・オタク」「キャラクター・オタク」を振るい落とそうとしているのではと感じるのだ。昔から彼の作品を見続けている僕にとっては、「F91」「Vガンダム」も「ブレンパワード」もおそらく「ターンA」も、特に思い入れのあるキャラクターが存在しなかった。僕が歳を取って感受性が鈍ったのもあるのかもしれない。でもこのHPで「ウテナVSハニー」をやったのは、別に「ウテナ」が流行っているから取り入れたのではないのだ。この小説の連載が終わり最後まで読んでいただいた方がいたとしたら、僕がそれぞれのキャラクターに愛情を持って描いている事が判ってもらえると思う。やはり最近の富野さんの作品が変わったのだ。

今回放映の話数が決定していたのかどうかは知らないが、いつもの富野さんのテレビシリーズ作品に比べて話数が少なかった事もあったのか、出演しているキャラクター達の用意されていたストーリーが未消化に終わってしまったのではないかと思われる。それぞれ面白そうなキャラクターであったが、レギュラーだけでもかなりの数(といってもいつもの富野作品並みの数)で、話数が少なかった分だけ、その描き込みも浅いものとなってしまったのではないのだろうか。これは非常に残念でならない。主役がヒメちゃんみたいだったのがユウ君になったりあいまいで、ジョナサンも悪が強いが、何故か最後までストーリーを引っ張るキャラクターがいなかったような気がするのである。

富野さんの作品には、各キャラクターの名台詞が多く、後にも記憶に残るものが多い。僕の場合はやはり「イデオン」だった。昔は決め台詞の為のシーンがあったりしたのだが、最近のものは日常や戦闘中に何気なくポロッと出る事が多い。重要なセリフでも、あまり大きくあおる事をしなくなった。確かに今「イデオン」とかを観ると、なんだか時代劇でも観ているように誇張されたものに感じてしまう(しかし僕は好きだ)。今の作品では見終わった後からそのセリフとかだけ独り立ちして良いイメージを作ってしまう事が良くある。特にそう感じ出したのは「逆襲のシャア」からだった。

「逆シャア」は劇場作品であった為か、映画館のスクリーンが十分に大きいので引いた画面が多く、アップがあっても特にディフォルメをする事もなかった様に思う。「THE IDEON」と比べたら良く判る。最初見終わった時は、少々物足りない気がしたものだった。しかし「ファースト」「Z」のシャアとアムロの歴史、シャアがアムロと決着を付ける為にこの大舞台を作ったということを認識し出すと、何故か頭の中で数々のシーンが組み合わさって展開して、妙に気に入ってしまったのだった。シャアにしてみれば、アムロと言うのは本当に「貴様さえいなければ!」と言う存在だったのだ。(しかしアムロの才能に嫉妬しながらも、彼との間に友情はあったと僕は思っている)

今回の「ブレンパワード」にしても、各キャラクターいいセリフを残している。しかし過去の作品に比べれば、実に淡白に描かれている。「濃い目」が好きな僕には、「もったいない」気がするのだ。しかしこれも富野さんが意図してやっている事ではないかと思うのだ。

《完成に近い富野作品の制作を》

「Vガンダム」の頃から思っているのだが、予算的なものなのか、若手育成の為なのか、画面のクォリティーが低くなっているように感じるのだ。僕は動画とか映画とかは素人だが、絵コンテが良ければ、もっと絵自体が悪くても画面の構図は良くなってマシになると思っているのだがどうだろうか。

後富野さんは、「ロボットアニメ」の中でも次々と新しいコンセプトを生み出した人でもある。「ガンダム」の「モビルスーツ」、「ザブングル」の「ウォーカーマシン」、「ダンバイン」の「オーラバトラー」など。今回の「ブレンパワード」は「アンチボディ」だったわけだが、これはロボットを道具としてではなく、コミュニケーションを取る存在としたのは斬新で良かった。しかし個人的にはこれも未消化だった様な気がしたのだった。これは作画の面で、あの複雑なデザインのアンチボディがより細かいディティールが昆虫のように細かく動くシーンを追加していれば、視聴者自体もより親近感を持って彼らとコミュニケーションをしたのではないかと思っている。

僕は富野さんにもっと充実した環境の中で作品を作っていただけたらと強く感じてしまうのである。宮崎さんみたいに。富野さんは「ロボットアニメ」を利用して名を挙げた人であるが、この「ロボットアニメ」のレッテルゆえに一般的なメジャーになれないでいるのだ。いつも未完成で終わってしまう富野作品の中に、限りなく完成に近い作品を作っていただきたいのだ。僕が富野さんに教わった事は、宮崎さんのとは2ケタ違うぐらい多くあるのだ。僕にとって御二人は同格なのだ。

富野さんは、元々アニメーションをやりたかった人ではなかったのだ。ある雑誌で菅野よう子さんが、彼の事を「ロボットアニメなんかやりたくないのに、ロボットアニメをやっている人」と言っていたが、おそらくそうなのである。菅野さんに「何で嫌なのにやっているの?」と聞かれて、「だって誰も聞いてくれないモン」と言ったそうである。僕個人としては、富野さんの攻め方には賛成である。「ガンダム」も「イデオン」も、メカアクション物なのに戦争を否定しようとするドラマであったと思う。いまだに「リアルロボット系」として「ジャパニメーション」にその分野があり続けるのは、富野さんの作品があるからこそなのだ。HASE3のHPの掲示板にもあったが、富野さんがいなければ「ガンダム」はこんなに巨大な「ブランド」には成らなかったのだ。

《でも心配な事》

しかし一つ心配な事がある。富野さんは「ロボットなし」「戦闘なし」で人を引き付ける作品が描けるのだろうかと言う事である。

「ブレンパワード」は、地球人と異星の生命体との交流でストーリーが展開しているのだが、僕には自然なり地球の意志との交流を擬似的に描いているような印象を得た。特に自然回帰や過去の文化への回帰が表現される傾向が、最近の富野さんの作品には見られる。全部観たわけではないが「Vガンダム」もやたらと森等をバックにしたアクションが多く、宇宙空間を舞台に戦闘をしたりする事が少なくなっていたような気がする。今の「ターンA」もその傾向が見られる様だ(といっても2回しか観てない)。

「ブレンパワード」で描かれている自然や昔の家庭の描写が「中止半端」な気がするのだ。先の宮崎さんと比較すると良く判る。宮崎さんは自分の作品舞台のもととなる風景を愛しながら描いている。富野さんは「演じている」様に感じるのだ。富野さんが伝えたい事は大事な事だと感じるが、その描写がついてこなければ説得力が半減してしまう。私事であるが、例えばデザインとかストーリーなどにしても自分の生活であまり馴染んでいないものを表現するのは難しい。和風物は苦手だし、花や動物も苦手だ。両親が共働きなので、家庭もあまり判らない。富野さんもあまり自然に親しんだ人ではないのではないかと思ってしまうのである。

《富野さんを越える人は?》

少しではあるが、デザイナーの永野護さんの事も触れてみたい。彼は同じく富野さんの「エルガイム」のチーフメカデザイナーとして一声を風靡したわけだが、当初は斬新であったが平面的で無機質な印象を受けた僕は、あまり良い感じがしなかった(基本的に自分の頭は保守的らしい。でもMk−2は好きで、ハイコンプリートモデルも買った)。「ファイブスター物語」を書き始めた頃は、失礼ながら「続かないだろう」と思っていた。しかしあれから15年程の月日が流れたわけであるが、いまだに僕が「メカデザイナー」と認識しているのは大河原さんと永野さんだけである。やはり彼は凄い人だった。僕が間違ってましたすいません。

今は「ウテナ」の幾原さんと組んでやっているが、何やらまた「世界の革命」を描くような予告だけを見て、それ以来興味がなくなってしまった。ここが富野さんが他の監督と違う所であると思う。富野さんは、同じ「ガンダム」と言う作品の中だけででもあれだけの違うものを描いてきたのだ。未だに富野さんが業界の中心になって引っ張っている印象があるのだ。彼を越える人が現れていないからだと思うのだが、どうだろうか?

《今もアニメ系CDばかり買う男》

後菅野よう子さんも少し書きたい。僕が騒ぐまでもなく、彼女は現在人気があるわけだが、僕が最初に出会ったのは「COWBOY BEBOP」だった。テレビ大阪(関西人なもんで)で放送していた時、何故か本編は見れずにエンディングの「THE REAL FOLK BLUES」だけ何度か聴く内に気に入ってサントラを買い、BGMが気に入って全部揃えてしまった。しかし本編は2本ぐらいしか見た事がない。実は「ウテナ」もこのパターンで、いきなり見たのがウテナが決闘場へ向かう「絶対運命黙示録」だった。この変な曲(失礼)を探してタイトルも知らずにCDシングルを買って「これじゃあねぇぇ〜っ!!」と怒り狂って(でも今は好き)サントラを買ったら気に入って全部揃えてしまった。本編は我が友HASE3に見せられるまで見た事がなかったのだった。

しかしHASE3と言うのは、僕にとって矢吹丈が後楽園ホールでカーロスとの4回戦後に言った如く、「時々思いがけないような運命の曲がり角に待ち伏せしてて、不意に引きずり込む」白木葉子みたいである。彼は男であるが。アニメーションも引退していた時に、彼に「エヴァンゲリオン」を見せられた為に復帰してしまった。このHPも彼が始めてしまったものであった。しかし結果的に僕に良い成果をもたらしている様である。「ウテナVSハニー」も彼の発案である。やっぱりプランナーさんなんですな。

話が大きくそれてしまった。菅野よう子さんである。始めて「ブレンパワード」を見た時からそのエンディングに惹かれてしまい、これまたサントラを買ってしまった。歌詩の意味は良く判っていないのだが、「子供達の心の灯火になって欲しいと」と言うのが気に入ってしまったのだ。この頃僕は「明るく豊かな社会を築き上げる」為活動する某法人団体に所属しており、イベントか何かのエンディングにこの曲を使いたいと思っていた。この時は、こんな言葉に心が救われるような気分になっていたのだった。

「愛の輪郭」と「THE REAL FOLK BLUES」。この2曲をどこかのカラオケで採用して欲しい。月に2回は必ず僕が歌います。

《御意見があればどうぞ》

富野さんに関しては、それこそ分厚い本に成るぐらい色々書きたい事がある。後に「私の好きなもの特集」で書くつもりなので、このぐらいにしたいと思う。おそらくこの文を読んで「私はそうは思わない」と思われた方も多いだろうと思う。討論としてではなく、別のお考えのある方は「空想生命体メッセージ」の方へお願いいたします。これからは「ターンA」に入るのではなく、少し戻って「Vガンダム」をもう一度見ようと思っている。「ターンA」はその後に。

ああ、死ぬまでに一度富野さんと直に会えたらなぁー!

 

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