<初恋の人、キューティーハニー>

「キューティーハニー」との出会いは、小学2年生の頃。当時はビデオデッキなんてなくて、ようやく我が家に兄貴が買ってもらった「カセットテープデッキ」がお目見えしたぐらいだった。僕も嬉しがって、当時の「テレビマンガ」の主題歌とかを「内蔵マイク」で録音しては、毎日毎日聞いていた。当時の僕には、「カセットテープ」は高価なもので、1,2本しかないものを何度も重ね録りをして使っていたと思う。「接続コード」を使わず「内蔵マイク」で録っていたので、「宇宙戦艦ヤマト」のオープニングに「早くご飯食べなさい」と母の声や、台所で食器を洗う音とか入っていた。「録音ボタン」と「再生ボタン」を同時に押すのを失敗してしまい、今でも僕に記憶にある「グレートマジンガー」のオープニングには「ギュン」というノイズが入り前奏が途中から始まる。当時のハニーちゃんとの出会いは、残念ながら記憶にない。しかし、おそらくは片面30分、計60分のカセットテープの半分を使って第2話である「夜の火牡丹剣の舞」を録音していたのだ。他は「歌だけ」なのに、当時の僕としては「破格の扱い」だったはずだ(笑)。2話から録っているということは、1話を見て「そうとう気に入った」からだと思われる。

 夏、熊本のおばあちゃんのところへ入った帰りの夜行電車で盲腸が痛み出し、地元の病院で見てもらうと手術しなければいけないということで、数日入院することになった。当時好きだった「仮面ライダーX」が見れないからと、兄に頼んで「録音」してもらったのだが、兄は無意識に「夜の火牡丹剣の舞」の上から「仮面ライダーX」を録ってしまったのだった。これはもう大ショックで、大泣きしたことを今も覚えている。重ね録りした「X」の話を消せば、その下にある「ハニーちゃん」が現れるのではないかと、本気でそのカセットテープを空録りして試したりもした。TV放送が終わってしまえば、もうそのテープでしか「ハニーちゃん」の声を聞くことは出来なかったのである。また泣いたことも覚えている。

「東映まんが祭り」で映画になったときは当然観に行った。劇場のショーケースにあった「ハニーちゃん」のセル画が欲しくて仕方がなかった。田舎の電柱にあった色あせたポスターから、「ハニーちゃん」のところだけ切り取って大切に持って帰った。雑誌から集めた切抜きとかも集めて、お茶の缶カンに入れて田舎の空き地にそっと埋めた。大事な「宝物」を隠したつもりだったのだが、今はもう何処にあるのかもわからない。当時の家庭には、家族が集まる部屋にしかテレビはなかったわけで、「キューティーハニー」は家族揃って観ていたことになる。母親が親戚に、「この子は七変化の女の子が好きなのよ」と言っていたほどだから、相当騒いでいたのだろう。

豪先生のコミックも読んでいたはずだが、僕は「赤い髪のハニー」よりも「ピンクの髪のハニー」が大好きで、増山江威子さんの声も大好きだった。子供のない知恵をしぼって、「なんとかハニーの声の人に会えないものか」とか考えていたものだった。「ひらかたパーク」の「まんが大行進」だったかで、マジンガーZや当時のヒーローたちと共に「ハニーちゃん」もテレビのコマーシャルに出てるのを見てしまった。「ハニーちゃんに会える!」と僕は両親を「泣き落とし(笑)」、期待に胸膨らまして「ひらパー」に行ったのだった。「展示コーナー」には、「アルプスの少女ハイジ」や「山ねずみのロッキーチャック」、「ウルトラマンタロウ」なんかが電動で動いたりしていた。「ドロロンえん魔くん」では「シャポー爺」が「えん魔くん」の頭の上をクルクル回っていたりした。いよいよ「ハニーちゃん」のコーナーに来ると、「シスタージル」に「シルバーフルーレ」を振る「マネキン」が立っていた。子供心にも悲しかった。せめて、ピンクのカツラをかぶった「かわいいお姉さん」に会いたかったと、子供心でも思った。

今振り返っても、女性への憧れや、恋愛のような切なさを始めて抱いた人は、間違いなく「キューティーハニー」である。「初恋の人」と言ってもいいかもしれない。出会ったときの年齢もあって、視点が「早見順平」君と同じ、僕にとっては未だに「ハニーお姉さま」なのである。
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