新訳機動戦士ZガンダムU〜恋人たち〜

 

コミックやジャパニメーションで描かれる「恋人たち」というのは、僕の印象としては「マンガ的」なものに見えてしまう。作家なりが理想化したり、想像した「恋のかたち」を描いている。それが僕なりの読者に受け入れられるスタイルのモノであれば良いのだが、気に入らなければつまらないものになってしまう。「こんな恋がしてみたい!」と思われなければ意味がない。そう考えると、今のコミックなどに僕が夢見るような恋がないということになるのだろうか。富野監督の「恋人たち」というのは、理想化されたスタイルではなく、「人のつながりの一例」なのである。だから観る方としては、「ああ、そういう人の結びつきはあるかもしれないなぁ」と思い受け入れる事ができるのだ。富野監督の「ガンダム」にしても、ストーリーを通して「反戦を訴える」などのメッセージが主要なのではなく、「一年戦争」なりの中で翻弄される人々の生き様をコラージュしているのである。仮にそれが、「IT産業の企業戦争」でも良いのである。

しかし「ジャパニメーション」の「リアルロボット系」なんていうオタクにしか通じないジャンルの中で、富野監督が確立したスタイルというのは、「擬似戦争」という世界観の中での「人の意思のせめぎ合い」を描いたことだった。実際の戦争では、敵同士の兵士なりが戦場で、例えば戦闘機同士のドッグファイトの最中に、「なんでこんな戦争をするんだよ?!」なんて叫び合う事など全く有り得ない(笑)。ガンダムエースで、「Zガンダムを観て10万もらおう!」という企画があり、その投稿用に「ZG」のドラマを実際の「企業戦争」を舞台に置き換えることをしてみようと考え付いた。しかしいざ「ZG」のキャラクター達が抱える「心の叫び」を交えるシチュエーションを築こうと思うと、これは恐ろしく困難なことであることに気づき、挫折してしまった。

富野監督は、「ロボット同士が戦う」という、玩具メーカーの為のイベントを「人の意思の交わる場」に加工して、他の分野にはないドラマ作りをしてしまったのだ。これを確信犯的にやってるのが「少女革命ウテナ」である。「ウテナ」の場合は、「ガンダム」なりの大掛かりな組織間の抗争を「決闘」という儀式で勝敗を決めるという、かなり効率的な(笑)ことをしている。

「恋人たち〜LOVERS〜」とはよく付けたもので、僕は富野監督が描く「恋人たち」が大好きであり、またそれぞれのカップルが「どういう関係なのか」と区分出きる程、キッチリと使い分けが出来ている。これが全く他のアニメ作家と違うところであり、「引き出しと努力の量の差」なのである。いつか「富野LOVERS」で特集を組んでみたい気もするが、それは後程にしたい。「結局どれも切る事が出来なかった」と言われる通り、上映時間内で全ての「恋人たち」を描き切る事もまた出来なかったようである。今回のメインは本来「カミーユとフォウ」の筈なのだが、富野監督は特にそれを「美しく飾る」事はせず、僕を突き放すように坦々としたドラマに描いて行った。僕にとってはかなりショックだったのだが、冷静に考えてみると「富野さんらしい」ことであった。

考えてみれば当然のなのだが、「人間関係」って「干渉し合う関係」なのだなぁ、ということである。ベルトーチカは自分からアムロに興味を持って近づいておいて、「いい男でなければ捨てる」とか、「好戦的な人は嫌い」とか、「私から盗らないで」とか、随分勝手なことを言っている。マウアーも、なんであんないい女がジェリドに世話を焼くのか、本人にしか解らない(笑)。ジェリドの方から近づいて行った訳ではないのだ。カミーユもフォウの思いに「引き込まれた」訳で、サラなどには、優しくしたり、「二度と姿を見せるな!」と言ったり、「どこにも行かせない!」と言ったり、シーンによっていちいち言う事が違っている(笑)。お互いがお互いの、どちらかの世界に引き込まれ、翻弄される。それを良しとするか否とするかは、そこから生まれた流れの後にそれぞれに、またはその環境によって決められる。

フォウの死の痛み、その救いをファに求めたカミーユ。お互いのヘルメットで唇が重ならない。「くすぐったい」と笑うファ。カミーユの想いとは別に、彼女自身は彼との再会を喜んでいたのかもしれない。二人きりでは、サングラスも外さずキスをするクアトロ。しかし出撃前には素顔をさらし、他のパイロット達を気遣う「いいオジさん」をやっていた。それを見て笑うレコア。「私には、サングラスも外さないのにネ」と。しかしそれは、照れなのか、気ままなのが心を許している、ということなのかもしれないのだ。そして「本当に愛していない」シロッコは、彼女の眼を見つめながらキスをするだろう。形に囚われてしまっているレコアやサラは、悲しい。

短く描かれた「恋人たち」のエピソードで、初めての観る人や若い人たちは何を感じ取る事が出来るのだろうか。TV版より難しいと思われるのだが。新訳ZGのキャラクター達は、あまり「心の叫び」をあげない。その「秘めた思い」が、さらに深い洞察力を観客達に求めている様な気がする。

特にヤマ場もなく、「ハマーン=カーン」の登場で第2部は終了する。切り落とされた多くのエピソードを書き綴ると、膨大なものになってしまう。しかし削ぎ落として「得たもの」がない様で、今回はとても切ない気分である。最終章が、素晴らしいラストを迎えられることを祈るのみである。しかし、あのくさいサブタイトルなんとかなりませんか(笑)?!


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