<ウソをつかなかった大人>

インタビュアーは、当時の自分の少年期を振り返り富野監督のことを「ウソをつかなかった大人」と言った。「ガンダム」が登場するまでの「ジャパニメーション」は、アニメ版「宇宙戦艦ヤマト」の様なたった一隻の戦艦が、侵略軍の大艦隊を!「特攻」で打ち破るとか(初代ヤマトは別である。あれが本当の松本零士先生のヤマトであり、後の作品はプロデューサーの手によって意図的に仕組まれたパターンのストーリーになってしまったのだ!)、昔ながらの「少女マンガ」と言われるような「ラブストーリー」や「シンデレラストーリー」が主であった。ただここで付け加えておきたいが、僕は「少女マンガ」をバカにしているのではない。「少年マンガ」のアクションものにかなり食傷気味だった僕は、今頃になって「少女マンガ」のドラマや絵作りが遥かに素晴らしいことに気づいたところである。

ファンタジックな内容が主であった「ジャパニメーション」の中で、TVシリーズとしては始めて「擬似戦争」の世界のドラマを持ち込んだのが「ガンダム」だったのである。「人間同士で戦闘する」という世界を扱うこと自体がタブーであったし、「兵器」を「人型ロボット」に置き換えることによって、「戦争の生臭さ」が軽減されたのだった。「ファーストガンダム」はまだファンタジックな要素が強かったが、それ以降の「イデオン」「ZG」などは、人間の心の底をえぐり出すような描写を強めて行く。当時(そして現在も)この様な「人間ドラマ」のストーリーを描いたのは、富野監督だけである。この事を指して、インタビュアーは「ウソをつかなかった大人」と言ったのだ。これは僕も全く同感であり、「富野さんと会っていて良かった」と思えた理由であった。しかしそれに気づいたのも30代になってからである。

「イデオンを笑うな!」でも書いたが、僕が富野監督の作品で一番好きなシーンは、「THE IDEON〜発動編〜」のハルル=アジバの一連である。アジバ家の後継者に男は生まれず、二人姉妹の姉ハルルは男勝りな性格もあって軍の指揮もとる「カタブツな女」になる。妹のカララは、美しくお姫様として周囲に可愛がられ、異星人とはいえ理想の男性と結ばれ、身の子を宿す。ハルルは「この事件の元凶」「異星人の守りの中心」という口実を用いて、「己の嫉妬」と共に敵になった自分の妹を撃ち殺すのであった。その後ハルルは父親のいる巨大戦艦に戻り、「妹を殺した」と報告するのである。同じ兄弟でありながら、自分は指揮官として「甘さ」を見せることは許されず、常に厳しい軍の環境で生きてきた。対する妹は姫として扱われ、男と結ばれて身ごもった。同じ女でありながら、自分は「好きだった男」の遺言の手紙さえ手に入れられなかった。この定めの違いにハルルは怒り、その憎しみで自分の妹を殺してしまったのだ。

自分の行為の罪にも気づいていた。異星人との戦争も終わらない。「イデ」を倒さない限り終わらない。唯一の方法があるとしたら、それは異星人との「和平」を結ぶことである。しかし自分の愛した男を失った怒りも悲しみも消せない。全てに、おそらくその世界で最も気づいているはずのハルル=アジバは、

「それでも止まる事が出来なかった」

のである。

ハルル「ダラム…助けて。」

彼女は、今はもういない男に救いを求め、泣く。

そして「イデ」と決着をつける為、鬼神となってソロシップを追い詰めて行くのである。

もうこの辺り、父ドバ=アジバとの会見のシーンは、BGMを聴くだけでパブロフの犬みたいに涙が出るほどに愛着がある。結局この戦争に関わった二つの星の人々は、全て「イデ」に滅ぼされる。後に魂となって結ばれ、新しい命の元として共に旅立ったラストがあったとしても、客観的に見たらなんとも悲惨な物語である。しかし僕にはこの作品の中で己の「エゴ」に囚われ生きていく人々がいとおしくて、ある意味「人間って、こんなものなのかもしれない」と思ったのだった。先の同人誌で、「なんで『和平』を結ばなかったのか」とその筆者はコメントをしていた。僕としては、それは「ファーストガンダム」までのファンタジックなストーリーを期待していた視聴者の「不満の声」なのだと思えるのである。アニメだから、当然「作り話」であるのだが、「キレイ事だけで終わらせない」のが富野監督だった。

今回の「ZG」の復活は、本人も言っているように「時代の要求」であると思う。現に他にも僕が求めた作品たちが復活するのは、その世代の人たちが求めているからだと思われる。富野監督は「キングゲイナー」の中で「ゲーム世代」にも歩み寄り、「戦いは血を流すもの」という事を稚拙(失礼)ではあるが伝えるエピソードを入れている。「時代に必要なメッセージを贈る」が富野監督のスタイルである。他はほとんど「時代になじむストーリーを提供している」だけなのである。僕の印象では、富野監督だけが「作家たらん」として独り踏ん張っている様に感じる。

富野監督の作品、「ガンダム」も「イデオン」も多くの人々、若い作家に影響を与えた。庵野監督もその一人なのだが、「エヴァンゲリオン」はおそらく彼自身が想像していた以上に「ジャパニメーション」の世界に深い影響を与えてしまった。彼自身が「THE END OF EVANGERION」で「EVAおたく」の「社会復帰」を試みたが失敗している。その近辺で、宮崎駿監督は「もののけ姫」を、富野監督は「ブレンパワード」を発表した。僕の眼には、「ジャパニメーション」の両巨頭が、「エヴァンゲリオン」の及ぼした影響を「立ち直らせよう」としていた様に見える。しかし、未だに新鋭のアニメ作家たちは、「エヴァ的な」世界観の作品を作り続けている。それ程「エヴァンゲリオン」、庵野監督の力は巨大だったのだ。

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