<文化として差し出せるのもの>

「キレる子や大人」も問題なっている。「核家族化」による近隣や親族とのコミュニケーションの欠落、高カロリー、味の強い外食や市販食品が食生活の中心になったことによる血糖値の不安定、味覚の衰えなど、環境の変化が原因の一つとして話題になった。僕に気付きを与えてくれた美輪明宏氏の説では、「住環境」と「音環境」がそれに加わる。

「住環境」は、やはり我々が生活する「建築物」による。過去ヨーロッパで一世を風靡したデザイン集団「バウハウス」による直線や無機質でシンプル、機能性を重視した建築物やインテリアのデザインは、今も日本で支持されるスタイルとして強く影響を及ぼしている。しかしこの「バウハウス」のデザインには後日談があり、その無機質な先進的なデザインのビジネスハウスで労働に就いた者たちから多くのノイローゼに掛かるものが続出したのである。調べた結果、その無機質な環境が原因と判り、各部に色彩や観葉植物を加えて改善したところ、その後はノイローゼになる者はなくなったという。

日本人のある建築デザイナーが、「コンクリート打ちっ放し」のモノトーンなスタイルで世界的にも指示を受けている。日本のビルなどの建築物も「機能性」という口実の元に、経費節減でそのスタイルを安直にマネたものも多い。しかしその建築物自体が、人々にストレスを及ぼしているという認識は、広く知られているものではないらしい。「モノトーンがオシャレ」という認識が、早く改まるといいのだが。

次に「音環境」である。これは主に「ロック系」や「ラップ」などの単調でアップテンポな音楽が、原因であるらしい。今巷で流行るは殆どこのジャンルのもので、店舗ビルや商店街などでも、常に流されている。元々こういう音楽は、聴くものの興奮を呼ぶものであり、踊ったり活動的に聴くのなら良いが、普通に家でくつろぐ時になどには落ち着かないものなのだ。それが潜在的に「ストレスになる」のである。美輪氏によると、日本人は特に、本来は「音」に対して非常に敏感で、慢性的に日常で流されている環境は不健全であるという。

「合理的」「機能的」なことをメリットとして、あらゆる産業と創造物の主となった近代西洋的なスタイルが、本来多重な感覚と感性を持っていた日本人に「ストレス」を与え、また「センス」を鈍らせてしまったのだと言う。逆に言えば、その主流なスタイルと相反するものを創作し、世に示すことが出来れば、それらの問題を軽減する糸口になるはずである。これおそらく確信的にやっているのが、「宮崎駿監督」であると僕は考えている。彼の作品が世界的に支持されるのも、そう考えると偶然ではない。近代社会以前には、おそらく更に苦しい経済環境にあったはずの日本でも、今のような狂人的な犯罪等が大きな問題になることはなかったのだ。ただのノスタルジアなのではなく、やや前時代的なテイストの世界観を提供しているのは、人の心を穏やかにする記号が隠されているからなのかもしれない。

だからと言って、「バカみたい」に宮崎テイストが氾濫するのも困るが(笑)。しかし今のデジタル系の文化で育った人たちには、宮崎テイストは「マネできない」かもしれないが。視聴者の目を疲れさせない様にと、「原色」を使わず色味を押さえることを始めたのも宮崎監督らしい。しかし彼以外のアニメ作家の作品は、確かに色味は押さえているのだが、個人的には昔の日本の「DCブランド」を思い出させるような「陰湿な色使い」に見え、手法として同じ物には全く見えない。一応美術系学校出身者の一人としては、日本のアニメーション学院とかでは「色彩構成」のカリキュラムがキチンとされているのかと疑問に思う時がある。

アニメ誌であるアニメ関係者の方が、「皆同じ物を見てるから、同じ様なものになってしまうのは仕方がない」という様なコメントをしているのを読んだ。しかし「それは違うのではないか」と言いたい。世の中には数知れず「素晴らしいもの」があるのである。是非「違う美しさ」のあるものを見て欲しい。確か庵野監督と幾原監督(少女革命ウテナ)の対談で、「オレイズムを描いた作品がなくなってきた」というコメントがあったように思う。自分の価値観、またはアーチストとして「美しい」「素晴らしい」と認識できる感性を身につけて欲しい。宮崎テイストいがいでも、名作を生み出す手法はあるはずである。自分の趣味や遊びの延長とかではなく、「アニメ作家たらん」とする若いアーチストが出現して欲しい。

 

富野監督、宮崎監督、高畑監督が引退してしまった時、もう僕の中で「作家」と認識できる「ジャパニメーション」作家はいなくなってしまう。もう「売上至上主義」によって、「ジャパニメーション」も「コミック」もその「作家性」を奪われていってしまうだろう。これもおそらく「歯止めが利かない」。それらをプロデュースする人たちの殆どに、おそらく「そんな危機感はない」と思われるからである。僕もこのHPの中に、自分の不満を吐き出しているだけなのである。最後の希望は「どれみちゃん」だった。その後は「誰も現れないのだろうか?」。

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