<トミノ=ブランドの味わい方>

筆者が重度の「富野中毒」なのかもしれない。ずっと彼の作品を観つづけて来た為か、最近は「富野作品用の泣き方」というものが僕の中に出来てしまった様である。富野監督の作品で他の作家よりやや劣るところがあるとすれば、やはり「絵」の部分である。それと大量に情報を詰めている故の「間」のなさである。「絵」の美しさは宮崎監督には勝てないし、宇宙の神秘性やファンタジックなイメージはりんたろう監督の「銀河鉄道999」がいいし、「枯れたセンスの良さ」では「初代ルパン」みたいなのは出来ないだろう。時に中国などの外注なのか、「なぞっているけど何もわかってないかもしれない」出来の悪い作画もあったりして、「ブレンパワード」などもひどい時もあったのだ。

しかしそれが、その時点の絵の印象ではなく、観終わってからある時「ハッ」と記憶を呼び起こされて泣く時があるのだ。「第2時スーパーロボット大戦α」には、「ブレンパワード」が参戦している。「ブレンパワード」というのは、地球に流れ着いた「オルファン」という巨大な「宇宙生物」より生み出された種子の様なものである。始めは円盤のような形をしているが、自分のパートナーとなる人間に出会うと「ブレンパワード」として「リバイバル」して昆虫のようなシルエットのロボットになるのである。それぞれの「ブレンパワード」には、パートナーの名前が付けられる。宇都宮ヒメなら「ヒメ=ブレン」、伊佐未勇なら「ユウ=ブレン」である。

ある辺境の雪原で、一体の「ブレンパワード」とひっそり生きる女の子がいた。彼女の名前は「ネリー=キム」。彼女のパートナーは「ネリー=ブレン」。病で余命いくばくもないネリー=キムは、人里を離れて「ネリー=ブレン」と残りの人生を生きる事にしたのだった。しかしそこに、ジョナサン=グレーンの「バロンズゥ」との戦闘によって傷ついた「ユウ=ブレン」が漂着した。彼女は自分と「ネリー=ブレン」が、彼らと出会うためにここにいたという運命を知るのだった。ネリーの命と共に、傷ついた「ユウ=ブレン」と一体化していく「ネリー=ブレン」。使命を受け入れる事、引き渡す事、引き継ぐ事。顔のアイコンとフキダシ、小さく荒い動画で描かれたそのシーンを観て、僕はボロボロ泣いてしまったのだ。

ビデオで観ていた筈なのに、それまでそのシーンの記憶がなかった。しかしこのゲームで記憶が甦り、ネリー=キムの生き様に泣いたのだった。ネリーの死に、泣く「ユウ=ブレン」。

勇「泣くな!ネリーは強い子だったんだぞ!だから泣くな!」

伊佐未勇は、自分に言い聞かせるように、「ユウ=ブレン」に言い聞かせるのだった。

富野監督の作品は、どれも各キャラクター達の言葉が心に突き刺さって残る。時にあまりにも状況説明的なものもあるが、ある意味それも「言葉の有効」を計算したものなのかもしれない。その映画なりドラマなりを観ている最中には気付かなくても、後に各登場人物の背景や関わりを理解した時、ホロリと泣いてしまうのだ。

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