
TVで観ていた頃、恥ずかしながらぼくは、何故カミーユの母親があんな目に
遭わなければならなかったのか判らなかった。
カプセルは「強力な爆弾」でよかったのに、位にしか思っていなかったのだ。
つまりバスク=オムは、エゥーゴの指導者であるブレックス准将を「ビビらせたかった」のだと、
今頃になって気づいた。後の会話でエマ=シーンやクワトロ=バジーナが、
「両親が地球にいれば、ティターンズの人質に獲られているようなもの」と語っていたのは、
バスクが「お前の両親もこうするぞ」という脅しをかけているからだったのだ。
こんなことにも気づかなかったという事は、いい解釈をすれば僕は
「そういう発想をしない人」ということになるのだろうか(笑)?
「30番地事件」の「G−3(毒ガス)」にしてもそうである。
あまりリアルに感じることが出来なかったのだ。
要は「軍(力を持つ者達)が暴走し始めた」、という描写だったのだろう。
更に考えると、これは「スペースノイドの軍隊」である「エゥーゴ」に対する
「挑発行為」だったのではないかとも取れる。今回の事件がきっかけではなく、
「ティターンズ」は既に「スペースノイド」を粛清する為の戦争を起こす気でいたのだ。
そう考えれば、「30番地事件」の「G−3」だろうと、とにかく手段を選ばず
「スペースノイド」を「挑発」して、「戦争」を起こせばいいのだ。
それを口実にして、「スペースノイド」の異分子たちを、
更には増えすぎた人口を削除することが出来ればよいのであった。
ブレックス准将は「ティターンズは『地球の重力に魂を引かれた人々』の私兵」と言っていたが、
それはズバリ、「地球から統治する人たちの本音」であったのではないか。
人間はいつでも容易にこの様な考えを実行できるのだ、と言っているように感じる。
母は見せしめに処刑され、妻の死を感知できなかった父は、カミーユを説得する事もしようとはしなかった。それどころか、息子によって傷ついた自分の地位を補うために敵艦に乗り込み、敵機のMSを強奪するという大胆な行動に出たのだった。更にMk−�Uで追ってきたカミーユがライフルを構えると、
フランクリン=ビダン
「お前は・・・!親に銃を向けるのか?!お前は?!父親の私に?!」
と怒って、先に銃を乱射する。父親としての義務は果たさず、
しかし刃向かう息子に対してだけは怒る。
しかもこの場合、ライフルが命中すればカミーユは命を落とす。
その事も認識できず、ただ父は怒って銃を撃った。対して構えたものの、
結局は自分の父親を撃つことが出来なかったカミーユ。
だが父の乗ったリックディアスは、後方からの射撃によって大破、父は死亡する。
クワトロ=バジーナ
「迷いは自分の命を落とすことになる。ここは戦場だぞ!!」
クワトロからカミーユに通信が入る。TV版で、クワトロは同じくMk−�Uで出撃していた。
フランクリンは、彼が仕留めたのではないか。
だが撃たなければ、カミーユが死んでいたのだ。
両親を亡くしたカミーユ。慰めようと訪ねるクワトロとエマ、レコア=ロンド達。カミーユは彼らに対し自分の両親の愚痴をこぼし、
カミーユ=ビダン
「ティターンズだエゥーゴだなんて、
(僕には)どうでもいいんですよ!子供が無視されちゃあ、たまんないんですよ!」
と泣きじゃくる。お互いに愛情を持っていない両親に対し、
カミーユが何故あんなに涙を流すのか?
「憎くても両親」という解釈もあるが、これはひょっとして、
「とうとう親らしいことをしてもらえなかった」
という悔しさから来ているのではないか、と思った。
後にしばらくは、母性を求めてレコアやエマに甘えようとしたカミーユではあったが、
エマはTV版では、
エマ=シーン「私は、あなたの恋人でもなんでもないんだから。」
といい、レコアもジャブロー潜入前に彼を突っぱねる。しかしカミーユの身になると、
もう少しは抱きしめてあげても良かったのではないかとも思ったりする。
だがその寂しさが深い分、「何で私が母親代わりをしないといけないの?!」
という反応を示すのも、リアルな対応といえなくもない。
劇場版の方が、クワトロもカミーユの身体に触ったり、
エマもレコアも食事に誘おうとして優しかったかもしれない。
その気遣いに気づかず、
カミーユ「僕はここで…」
というカミーユの青さも、リアルであったかもしれない。
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