
エマとレコアの明暗
「Zガンダムヒストリカ」を読むまでは気づく事もなかったのだが、二人がラストで「相打ち」になって果てるのは、お互いの立場の違い、「女としての明暗」の対立を示していて、分かり合えずに「共倒れ」になってしまったのであった。世の中には、「与える人」と「求める人」がいると思う。「与える人」というのは、その突出した素質故に他人に「安らぎ」や「喜び」などを「与えることが出来る人」。人に求められ、大切にしてもらえる。「求める人」というのは、他人より愛情や注目などを「受けたい人」。しかしその行いが「下心のあるもの」故に、見透かされて「人に好かれない」。「求める」ということは、それだけ「求めないと得られなかった」人なので、素質的には「与えられない人」である。
レコア=ロンドは、シャア=アズナブルなリの好きな男の目を引くために「危険なこと」にも積極的に手を出し、自分が「役立つ女」であることを示そうとする。しかしエマ=シーンは、その素質故にクルー達から支持され、ヘンケン=ベッケナーの部隊の「アイドル」として愛される。エマ自身は特にそのことを意識するでもなく、そのための努力をしている訳でもない。レコアの様な「求める女」につけ込んで利用するのが、パプテマス=シロッコみたいな「スケベな男」で、レコアもそれを意識しているのに、「求められている」という偽りの認識から逃れられない。
TV版で、レコア、エマ、フォウ、ロザミア、サラ、ハマーン、ファと、女の中でコロコロと心が移動したカミーユは、「自分が助けられるのなら」と彼女たちを愛した一面がある。レコアに対しては、「僕ではダメなんですか?!」とまで言ってしまった。レコアもそのカミーユの心を理解したのだが、残念ながら彼女の肉体的な寂しさまで満たしてくれる程、カミーユは「大人の男」ではなかったのであった。エマは、ヘンケンや他のクルー達からそしてそれまでも人々から「愛されている」ので、肉体的までの孤独感を募らせることもなく、カミーユに愛される必要もなかったのである。
確かに、男は「守る女」と「使う女」を使い分けている気がする(それは女性も同じ?)。よくキャリアウーマンのグチで、「何も出来ないお嬢ちゃんの方が愛される」とか言われたりする。男の側からするとそうではなく、おそらく「欲深い奴が嫌われる」のではないかと思うのである。考えてみれば「アイドル」だったエマは、ヘンケンという「自分を愛してくれる人」に落ち着き、シャアだシロッコだと「高嶺の星」ばかり求めたレコアは、それに報われなかっただけなのである。その人の「生き様」が、それなりの結果を出しているのではないかと感じるのであった。
☆次「ハマーンの悲しさ」へ☆
☆前「ジェリド=メサ〜はしゃぎ過ぎた奴?」へ☆
☆「Love Letter」へ☆
☆「星の鼓動は愛」TOPへ☆
☆「新訳ZG私訳」TOPへ☆
☆「空想生命体研究室C−INA」TOPへ☆