新訳ZGのラスト〜Love Letter〜

新訳ZGの主題歌をGacktがすると聞いた時、正直言うといい印象はなかった。ビジュアル先行で曲自体はどんなのを歌っているのかも知らなかった。富野監督が、ただ美青年が好きなのかも知れないとか思ったりもした(笑)。ただイメージ的には、若い人たちにもアピールできるようになるだろうし、彼自身が「ガンダム」の大ファンであるということで納得をした。劇場一作目の「星を継ぐもの」は大興奮だった。彼の曲もOPの「メタルフォーゼ」、EDの「君が待っているから」も、共に映像になじんでいた。しかし後で疑問に思ったのは、「なぜオリジナル曲を書かないのか?」ということであった。「ファースト・ガンダム」でも、「イデオン」でも、「ザブングル」でも、富野監督こと井荻りん作詞で井上大輔作曲で歌とか、当時は話題になり今も全てカラオケで歌われている名曲なのだが、新訳ZG全て通してGacktoが担当したというのに、「ZG用のオリジナル曲」は提供されなかった。個人的に想像するには、多分オリジナル曲を書いてもらうと高くつく」からなのだろう。「ガンダムファン」の彼だから、曲を提供するだけで、かなりいい条件で受けてくれたのかもしれない。
インタビューなどを読んでみて、Gacktoはかなり観念的な内容の詩の曲を書いているので、歌詞の内容とZGの内容に関しては違和感はなく、シンクロしているところもある様に感じた。リズム感で乗せていくという感じではなく、詩を聴かせる、時に重厚な演奏はスタイル的には新しいものではない。むしろその「クサさ」が「トミノ・ガンダム」には合っていたかもしれない。
それで公開当初から話題となっていた新訳ZGのラストだが、これは「アムロ参戦」という僕の期待と予想を裏切って、特に大きな変更があった訳ではなかった。ただ、
カミーユの意識が崩壊しなかった。
だけであった。アムロはといえば、フラウとベルトーチかという今昔のガールフレンドたちと一緒に「見守っていただけ」であった。なんでアムロがこんな時に地球でボーっとしていられたのか、誰か理由を教えて欲しいっ!(劇場で観ているとき、「あなたは何やってんです?!そんな所で!」とカミーユのセリフが頭の中で響いていました笑)特別出演していたセイラさんのセリフは、「めぐりあい宇宙」で、シャアが残していった金塊をブライトに「皆で分けてくれ」と渡すシーンのものだと思われる。カミーユのZは、ウェーブライダー形態からMSへ変形し、ファの心配を受け答えし、それをサエグサが口真似する。微笑ましいシーンで終わるが、この変更をすることが大事なことだったのだろうか?!…大事だったのだろう。
TV版のZGは、カミーユに味方する仲間たちに預けてシロッコを倒したが、その意識はシロッコに呪われて崩壊してしまう。それは地球という「魂の器」をいたわらず、ただただ己の立身出世と欲の限り争う巨人たちを止めるためだった。優しい人たちを狂わせる世界、というものへの批判であると、個人的には解釈している。現実世界、一会社、一時自体、一組織、それだけの括りだけでも、人を利用して自らの立身出世に役立てようとする輩はゴロゴロいるのだ。しかし本来視聴者として対象とされる若者に対して、そのメッセージを押し付けることに、富野監督は「それは筋違いだろう」と思ったのかもしれない。もっと悪いいいかたをすると、そのメッセージに相乗りして、「オレたちはこの狂った時代を背負わされるんだ」という「被害者ズラ」をさせてしまう、と思ったのかもしれない。
そこで新訳ZGのカミーユは、それらの多くの「人間関係の試練」を乗り越えさせて、「生き残らせた」のではないだろうか。
最初の大きな期待ゆえに「肩透かし」のような印象だったラスト。その意味を教えてくれたのは、バックに流れるGacktの「Love Letter」だった。「仲良しだった子が、今も変わらずそばにいてくれる」という「幸せ」。若い男の子と女の子たちが、じゃれ合う様に生きていく「日常」、「平和」。ティターンズとエゥーゴ、ネオジオン、大きな「抗争」を乗り越えて、カミーユは「ファと過ごす日常」へ帰ってきたのだった。
個人的にZ�Uの「mind forest」は、「フォウのこと」と解釈している。僕にとっては、そうだから。今回の「Love Letter」も、そのラストのあり方を示してベストマッチだったと思う。
ただ僕にとって、「ZGのラストで流れる曲」やはり「あの曲」である。できれば、どこかで流れて欲しかった。

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